金沢地方裁判所七尾支部 昭和40年(わ)79号 判決 1969年6月03日
主文
被告人は無罪。
理由
(公訴事実)
本件各公訴事実は、
被告人は、
第一、(一) 昭和四〇年七月五日午後二時頃、珠洲市蛸島町レ部一三八番地高倉彦神社拝殿横に砂山孝男(当一〇年)がいるのを認め、同人から小使銭を取上げようと企て、甘言をもつて同人を同神社本殿裏側の山王の森に連れ込むや、同人に対し家から銭を持つてこいと要求したが、同人が、銭のあるところを知らないと云つて自己の要求に応じないことに立腹し、矢庭に左手で同人の右手を掴んで引きつけると共に右手を同人の頸部に当てて締めつけてその場に仰向けに押し倒した上、右手拳で顔面を三回位殴打し、さらに附近にあつた棒切れを右手に持つて前頭部を二回位強打したところ、同人が失神状態となつたが、このまま放置すれば意識を取戻し、該犯行が発覚するに至ることをおそれ、この上は同人を殺害するに如かずと決意し、同日午後二時過頃、失神中の同人を転がして右本殿裏側の崖際まで運んだ上、約二米下の右本殿のコンクリート土台の箇所に突き落して同土台の角に前頭部を激突させ、因つて同人を載域後頭関節離断による外傷の結果間もなく死に至らしめて殺害し、
(二) 前記犯行直後、同人の死体を右コンクリート土台付近から約四五米離れた同神社拝殿縁下に運んだ上、同所の柱に藁繩とロープで緊縛隠匿し、もつて死体を遺棄し、
第二、(一) 同三九年一一月中旬頃、同市蛸島町レ部一三〇番地電気器具販売商砂山秀吉方店舗において、同人所有のトランジスターラジオ一台(時価約四、一〇〇円相当)を窃取し、
(二) 同四〇年三月中旬頃、同市飯田町一四部一五番地電気器具販売業中板秀男方店舗において、同人所有のレコード盤四枚(時価一、二〇〇円相当)を窃取し、
(三) 同年四月上旬頃、同市蛸島町ラ部八三番地米谷秋子方裏納屋において、同所に干してあつた同人所有の毛布一枚(時価一、五〇〇円相当)を窃取し、
(四) 同年四月下旬頃、同市飯田町一〇部五六番地電気器具販売業慶裕ゆきえ方店舗において、同人所有のレコード盤二枚(時価六〇〇円相当)を窃取し、
(五) 同年六月上旬頃、同市上戸町北方九字一一四番地電気器具販売業新出玉吉方店舗において、同人所有のレコード盤二枚、ソノシート四枚(時価六八〇円相当)を窃取したものである。
というのである。
(当裁判所の判断)
第一、窃盗の各公訴事実について
本件公訴事実中各窃盗の点は、いずれも被告人の自白するところであるが、結局、被告人の自白を補強するに足る証拠がなく、犯罪の証明がないことになる。以下、その理由を詳述する。
一、公訴事実第二の(一)(砂山秀吉方店舗におけるトランジスターの件)
<前略> しかしながら、砂山秀吉の司法警察員に対する供述調書第三項には、「昨年(昭和三九年)一二月終り頃ですが、小型のトランジスターが盗まれた事が無いかとのお尋ねですが実際の処私としては全然憶えが無いのです。」との供述記載があつて、被害者とされる砂山秀吉は被害の事実を全く認識していなかつたことが認められるうえに、被告人が右トランジスターラジオを「その日の晩の午後九時頃黙つて返しに行き、丁度砂山の前に小型自動車が置いてあつたのでその車の運転台に入れて家へ帰つたのです。」と自供しているのに対しても、砂山秀吉は「全然憶えがありません……私の自動車は用の無いときには何時も店の前に置いていますが盗んだと云う人が其の様に話しているのでしたら盗まれたことがあつたかも知れませんが品物が返してあるので気がつか無かつたものと思つています。」と述べ、若し被告人の自白が真実であるならば、自分の店で販売している新品のトランジスターラジオが自動車の運転台に置いてあつたとという異常な事態について全く記憶がないというのは納得出来ないから、砂山秀吉の右供述調書をもつてしては、未だ被告人の自白が架空のものではないという確信を抱かせるに至らないと言わなければならない。
二、公訴事実第二の(二)(中板秀男方店舗におけるレコード盤の件)
<前略> 被害者とされる中板方では捜査官からレコード盤の盗難被害の有無を尋ねられても被害の有無を認識し得なかつたことが認められ、結局、被害の有無は不明であつたことが窺われるところ、捜査当局においても、該被害の存否及び内容(レコードの大きさ、枚数、題名等)を確知していた証跡もないので、いかなる根拠に基づき右の如き内容の被害届が作成提出されるに至つたか理解し難いうえに、右被害届に記載されているレコードの題名とは、その一枚は明らかに異つており、他の三枚の同一性の有無についてはこれを確認する資料さえないので、これらの事実に前記捜索差押許可状の「捜索の経過」欄の記載並びに第一一回公判調書中の証人高井みつの「八月三十一日に捜査に来られて家宅捜索をしてレコード盤を持つて行かれこれは中板店から孝が盗つて来たものであると言われました。……中板店ではレコード四枚持つて来てこれを盗まれたことにして判を押してくれと言われたと云うことでした。」との記述記載を併せ考えると、差押えに係るレコード盤四枚は具体的・合理的根拠に基づき差押対象物件と判断されたうえで差押えられたものではなく、被告人の居室を捜索した際に発見されたレコード盤のうちから任意に抽出した四枚を差押対象物件と独断して差押えたものと解さざるを得ないのである。
そうすると被告人の前同供述調書では、被告人が先ず自から中板秀男店舗から窃取した各レコード盤をその各題名をあげて特定して自白し、その後に各レコード盤を被告人に呈示して確認を得たことになつているが、同供述調書が作成されたのは右捜索差押から相当時間経過後の同日午後七時以後であることに徴すれば、捜査官から先ず差押えに係る右レコード盤四枚を被告人に呈示したうえで自供を求めた疑いがあり、従つて被告人の右供述調書中の信用性には強い疑問を抱かざるを得ない。
このように、被告人の司法警察員に対する自白は誘導された疑いがあつて信用し難く、従つて被告人の法廷における自白も亦にわかに措信し難いものと言わなければならない。
(二) しかし、被告人の自白が右に述べたような理由により信用し難いものである以上、中板峯子作成の被害届、該被害事実についての盗難実況見分調書、前記捜索差押調書及び該差押物件の仮還付の事実を示す中板秀男作成の仮還付等が到底被告人の自白を補強し得るものでないことは明らかであると言わなければならない。
(三) <前略>前記(一)に説示したところによつて明らかな如く、被告人の自白に係るレコード盤四枚の盗難被害事実の存在それ自体さえ不明であると言う外ないのであるから、右証人の証言が被告人の前記自白を補強するに十分であるというためには、同証人が目撃したレコード盤二枚が被告人の自白に係る四枚のレコード盤のうちの二枚であることが明らかでなければならないと解すべきところ、右証人の証言中には唯単にレコード二枚とあるのみで、それらの題名など同一性を確認し得る資料を見出し得ないので、結局、証人山野義和の右証言をもつてしても、未だ被告人の自白が架空のものではないことを裏付けるに足らないと言わなければならない。<証拠判断省略>
三、公訴事実第二の(三)(米谷秋子方における毛布の件)
しかしながら、米谷秋子は被害毛布は「玉子色で端の方に茶色の花模様のもの」であると説明するのであるが、押収に係る毛布の端の方の模様は花模様とは称し得ないように思われ、更に第一一回公判調書中証人高井みつの「私が米谷方を尋ねた時では米谷さんでは初め警察から盗まれた毛布ではないか見に来いと云われて行つたらどうも自分のものと違うと云つて判を押さずに帰つたのですが、又来いと云われて行つた処警察が頼むので判を押したと云う事でした。」との供述記載に、前述のとおり押収してある毛布は同年七月八日発見領置されているにもかかわらず米谷秋子の調書を作成した際、同女にこれを呈示して被害毛布であるか否かの確認を求めた形跡がなく、仮還付もされていないこと等に鑑みると、同人の被害毛布と被告人の自白に係る毛布との同一性にはなお疑点が残るので、右に検討したる証拠をもつてしては、未だ被告人の自白が架空のものではないことを裏付けるに足らないと言わなければならない。
四、公訴事実第二の(四)並びに(五)(慶裕ゆきえ方店舗並びに新出玉吉方店舗におけるレコード盤等の件)
<前略>右供述調書には被告人の自白する各レコード盤及びソノシートの題名など各物件を特定し得る供述記載は全く無いのであるから、被告人の自白はいわば不完全なものであるところ、前述の如く、第二の(二)のレコード窃盗に関する被告人の自白が信用し難いものであることや、司法警察員作成の追送致書によつて窺える如く、当時被告人に対し起訴事実以外にもレコード窃盗の嫌疑がかかつていた事実に徴すると、被告人の右自白に対しては果して記憶どおりに述べているものであるかどうか疑問を感じざるを得ないので、被告人の自白は信用性に欠けるものと言わなければならず、従つて被告人の法廷における自白もにわかに措信し難いところ、慶裕ゆきえ、新出玉吉の司法警察員に対する各供述調書によると、右両名は捜査官からレコード盤の盗難被害の有無を尋ねられても被害の有無を認識し得なかつたことが認められ、結局、被害の有無は不明であつたのだから、右各供述調書、高井みつ作成の昭和四〇年六月三一日付任意提出書、慶裕ゆきえ、新出玉吉作成の各仮還付請書をもつてしては、右に述べた如き信用性に疑問のある被告人の自白を補強して右各公訴事実を証明するには未だ不十分であると言わなければならない。
第二、殺人並びに死体遺棄の各公訴事実について
一、<略>
二、被告人が検挙され本件犯行を自白するに至つた経緯
<前略>そこで、犯行現場の状況から土地勘のある者の犯行と推定した捜査当局は、蛸島町内の不良グループ素行不良者について、当初は特定の対象者を定めず、特別防犯連絡の形式で同町内全戸に亘る徹底した聞込み捜査(いわゆるローラー捜査)とその結果にもとづく容疑リストの作成を開始し、昭和四〇年八月初旬頃までには被告人を含む七、八名に容疑対象者を絞り、更にそれら容疑対象者らに対しては、特定の捜査官二、三名宛割当てて本件当時のアリバイ・身辺捜査を進めていたところ、被告人以外の対象者についてはいずれもアリバイが成立したが、被告人にはアリバイが曖昧である等、後述の如き事情から嫌疑が強く向けられるに至つたが、嫌疑を裏付け本件殺人事件の容疑で検挙するに足る具体的証拠はなんら収集し得なかつたこと、
<中略>その後同月三〇日に至つて、捜査当局は、被告人に対し、中板秀男店舗におけるレコード盤四枚の窃盗事実(公訴事実第二の(二))と昭和四〇年三月二〇頃莨谷よい方へ侵入したとの事実を被疑事実とする逮捕状の発付を珠洲簡易裁判所裁判官に対し請求し、同日その発付を得たうえ、翌三一日午前七時頃宮本政一外一名の捜査官が被告人方へ赴き、被告人の任意出頭を求めて珠洲警察署へ連行し、右窃盗並びに住居侵入の各被疑事実等についての供述を求めた後、同日午後五時三〇分頃右宮本政一が同署において逮捕状の執行手続を取り、その後更に右各逮捕事実についての被告人の自白を録取すると共に、窃盗の余罪についての取調べを進めて自白を得た後、同年九月二日金沢地方裁判所七尾支部裁判官に勾留状の発付を求め、該令状の発付を得て同日午後一時三〇分金沢地方検察庁七尾支部においてその執行をなし、その後本件殺人・死体遺棄事件発生当日である同年七月五日の被告人の足取りを追及したところ、同年九月六日夕刻頃に至つて、被告人は取調べにあたつていた右宮本政一に対し本件殺人・死体遺棄事件を自白したので、これを収録した被告人の自供調書等を証拠資料として、同月八日珠洲簡易裁判所裁判官から本件殺人・死体遺棄事件を被疑事実とする被告人に対する逮捕状の発付を得たこと、
そこで、翌九日午後一時一八分一旦被告人の釈放の手続をとつたうえ、同日午後一時二〇分金沢地方検察庁七尾支部において同逮捕状を執行し、更に本件殺人・死体遺棄事件について同月一一日金沢地方裁判所七尾支部裁判官から勾留状の発付を得、同日午前一一時五〇分金沢地方検察庁七尾支部においてその執行をなし、同月二〇日同日から同月三〇日まで同勾留の延長を行つたこと、
の各事実が認められる。
三、犯人の被告人を結びつける証拠
<前略>録音テープを再生すると約二時間四〇分で再生できることが明らかであるから、再生に約四時間を要するとの弁護人らの主張はなんら根拠がなく、高井みつ退出時の模様については、弁護人らの指摘のとおり、録音テープを再生して知り得るところと、第一一回公判調書中証人高井みつの供述記載と第二二回公判調書中証人西田茂夫の供述記載とはそれぞれ相違するが、この点は以下詳述するとおり録音テープ成立の真正を左右するものでなく、結局、録音テープは真正に成立したものと認められる。
一般に録音テープが再生供述として証拠能力を有するためには、原供述を正確に録音しそのまま保存されていたものであることが不可欠であるところ(原供述が適法な手続の下で任意になされたものでなければならないことは勿論であるが、この点については別論する。)<中略>
右の各事実を総合すると、午後二時前頃に一旦録音を中断した後、午後二時四五分頃から録音再開した際に、「ちよつと、そこでお母さんに席をはずしてもらえんですか。……」の部分を挿入し、高井みつの退席後引き続いて録音を行つたものの如く作為したものと認められるが、右作為部分は録音過程において母親が退席した時点を示すためのものにすぎず、録音過程におけるいわば付随的・背景的部分の範囲にとどまり、なんら被告人の供述部分にまで及んで作為したものとは認められないので、右作為が原供述の任意性あるいは再生供述の信用性に影響を及ぼし得ることは格別、未だ録音テープ成立の真正それ自体を否定するにいたるべき筋合のものではないと言うべきである。
四、被告人の自白の証拠能力
(一) 別件逮捕の問題
(1) <前略>そこで考察するに、被疑者の逮捕・勾留中に、逮捕・勾留の基礎となつた被疑事実以外の事件について当該被疑者の取調べを行うこと自体は法の禁ずるところではないが、それはあくまでも逮捕・勾留の基礎事実の取調べに付随し、これと併行してなされる限度において許されるにとどまり、専ら適法に身柄を拘束するに足りるだけの証拠資料を収集し得ていない重大な本来の事件(本件)について被疑者を取調べ、被疑者自身から本件の証拠資料(自白)を得る目的で、たまたま証拠資料を収集し得た軽い別件に藉口して被疑者を逮捕・勾留し、結果的には別件を利用して本件で逮捕・勾留して取調べを行つたのと同様の実を挙げようとするが如き捜査方法は、いわゆる別件逮捕・勾留であつて、見込捜査の典型的なものと言うべく、かかる別件逮捕・勾留は、逮捕・勾留手続を自白獲得の手段視する点において刑事訴訟法の精神に悖るものであり(同法六〇条一項、刑事訴訟規則一四三条の三参照。)また別件による逮捕勾留期間満了後に改めて本件によつて逮捕・勾留することが予め見込まれている点において、公訴提起前の身柄拘束につき細心の注意を払い、厳しい時間的制約を改めた刑事訴訟法二〇三条以下の規定を潜脱する違法・不当な捜査方法であるのみならず、別件による逮捕・勾留が専ら本件の捜査に向けられているにもかかわらず、逮捕状あるいは勾留状の請求を受けた裁判官は、別件が法定の要件を具備する限り、本件についてはなんらの司法的な事前審査をなし得ないまま令状を発付することになり、従つて、当該被疑者は本件につき実質的には裁判官が発しかつ逮捕・勾留の理由となつている犯罪事実を明示する令状によることなく身柄を拘束されるに至るものというべく、結局、かかる別件逮捕・勾留は令状主義の原則を定める憲法三三条並びに国民の拘禁に関する基本的人権の保障を定める憲法三四条に違反するものであると言わなければならない。
(2) <前略>(イ) 捜査当局が第一次逮捕状を請求した当時被告人に対し抱いていた嫌疑の内容について
本件殺人・死体遺棄事件(世上、蛸島事件と称せられている。)の実質上の捜査責任者であつた寺西英雄は、第二二回公判調書中の供述記載において、被告人の第一次逮捕に踏み切つた事情を、「これは、一応、蛸島事件の捜査を進めて行きました段階で、いろいろな殺人容疑者が出て来たわけなんです。私達は七、八人の容疑者をしぼつておりましたが、その中に被告人もはいつておりましたわけなんです。それで、窃盗で令状をいただきましたけれども、窃盗と同時に、この事件についても追及しようという腹構えで、一応逮捕したわけです。」と述べていることから見ても、捜査当局は、本件殺人・死体遺棄事件についての取調べをも意図して、被告人の第一次逮捕に踏み切つたものであることは明らかであるが、それでは、捜査当局は、第一次逮捕状を請求した当時、本件殺人・死体遺棄事件につき被告人に対しどの程度の嫌疑を有していたのであろうか。この点につき、寺西英雄は、右公判調書中の供述記載において、
「(問・検察官、以下同じ。)その殺人の容疑について、それを含ませるだけの理由、あるいは、資料、そういうものがその当時の段階でありましたか。
(答)はい、被告人は、いろいろ聞込みの段階におきまして、仕事に精を出さない、一日働けば三日も遊んで歩いておるというような事実から、あるいは、また、山野という少年なんかとも交際して、互いに不良同志だというような話も聞きましたし、前歴を見ましても、恐喝か何かで保護観察中の身でありましたし、アリバイについてもはつきり致しませんでしたし、いろいろそういうことを総合して、容疑があるというような目安を立てておりました。
(問)ところが、この事件に直接結びつく重要な資料というものは、それ以外にはありませんでしたか。
(答)山野という少年(から)の聞込みによりますと、警察が自分を、被告人ですけど、自分を調べにかかつているようなかつこうだとか、もう死んでしまいたいというような話を山野少年にしておつたというような事実、それから、家を一週間か十日間かあけて、放浪して歩いて、家にもどつておらんというような事実、そういうような事実から嫌疑が濃厚なんでないかというような推測が生まれて来たわけです。
(問)それがあなた方としては最も重要な容疑のひとつであつたということですか。
(答)はい。
(問)それで、窃盗の事実とも含めて逮捕に踏み切つたということですね。
(答)はい。」
と述べていることから見ると、捜査当局の抱いていた嫌疑の内容は、被告人が本件殺人・死体遺棄事件の犯人であることを直接裏付けるに足るものでないことは勿論のこと、情況証拠としてもいかにも稀薄なものであつても、文字どおり捜査当局の主観的表象にすぎなかつたことが認められるのである。(なお、被告人が山野に対し右証言の如き趣旨の供述をしたということを裏付ける証跡はない。)
(ロ) 第一次逮捕被疑事実の証拠資料に対する疑念
ところで、第一次逮捕状の発付を請求するにあたり重要な証拠資料となつたものと思料される中板峯子作成の被害届並びに司法警察員作成の盗難実況見分調書によると、右被害届は届出のあつた昭和四〇年五月一日に届出人たる中板峯子の依頼により珠洲警察署司法警察員巡査浦幸茂によつて代筆作成され、「被害届あるや届出人の案内により見分した結果」に基づき同日右盗難実況見分調書が右浦幸茂によつて作成されたことになつているのであるが、右被害届には昭和四〇年五月三日付の受付印が押捺されているので、これから見ると、捜査官自らが被害届を代筆しながら、何故にかその正式受理の手続を取らないまま即刻実況見分を実施するという異例とも言うべき捜査方法が取られたことになるが、右盗難は右被害届の「被害年月日時」欄にある如く「昭和四十年自三月十日午後一時〇分至四月三十日午前十時〇分までの間」に被害に会つたという事案であり、捜査にあたつても現場指紋の採取すら試みなかつたものであること等に照すと、被害届正式受理の手続を了する暇もなく速刻現場保存に着手し現場の状況を明らかにする必要性があつたこと等、右の如き捜査方法が取られるべき合理的な理由を見出し難く、前掲第一一回公判調書中証人高井みつの供述記載に徴すると、果して右被害届並びに盗難実況見分調書がそれぞれ真実その記載どおり昭和四〇年五月一日に作成されたものであるとするには払拭し難い疑念が存するものと言わざるを得ないのである。
従つて、検察官主張の如く、第一次逮捕の被疑事実のうちの窃盗被疑事実が比較的容疑の明らかなものであつたとは、既に第一の二において該事実に対し判断したところに徴しても到底認め難いところであり、その他の窃盗余罪については、後述の(ホ)の如き経緯で被告人が取調べられた結果判明するに至つたものであることが推認されるので、かかる第一次逮捕に資した証拠資料の収集過程からも、捜査当局が被告人自身から本件殺人・死体遺棄事件に関する証拠資料(自白)を収集するための契機を見出すべく苦慮していた形跡が十分窺えるのである。
(ハ) 第一次逮捕状の執行の際の経緯
前記認定のとおり捜査当局は、昭和四〇年八月三〇日に被告人に対する第一次逮捕状の発付を得たわけであるが、石川県警察本部刑事部鑑識課長作成にかかる珠洲警察署長宛の「ポリグラフ検査結果について」と題する書面の「昭和四十年八月三十日貴署より検査依頼のあつた殺人被疑事件の容疑者高井孝に対するポリグラフ検査の結果は別添検査書のとおりであるから送付する。」との記載に明らかな如く、捜査当局は第一次逮捕状発付の請求手続を取つたその日、つまり、第一次逮捕の前日には既に被告人に対して本件殺人事件の被疑者としてポリグラフ検査を実施すべく準備し、前記認定のとおり第一次逮捕当日の午前七時頃から珠洲警察署へ被告人の任意出頭を求めたうえ、同書面に添付された石川県警察本部刑事部鑑識主事越村猛作成のポリグラフ検査書並びに第二二回公判調書中証人西田茂夫の供述記載によつて認められる如く、同月三一日午後一時三五分から午後四時一〇分までの間に、つまり、被告人に対し第一次逮捕状を執行する以前に、西田茂夫が立会い、越村猛が被告人に対する本件殺人・死体遺棄事件を内容とする問を発してポリグラフ検査を実施し、その結果被告人が陽性の反応を示めし有罪意識を抱いていることを知るとともに、一方では、第二三回公判調書中調人宮本政一の供述記載、高井弥平・高井みつ・高井英雄・高井桂吾・権左ツナイ・北浜孝子の司法警察員に対する昭和四〇年八月三一日付各供述調書によつて認められる如く、被告人が第一次逮捕された日に、本件殺人・死体遺棄事件発生当日の被告人のアリバイ関係の直接的証人と目された高井弥平・高井英雄・高井桂吾・北浜孝子の四名については珠洲警察署への出頭を求め、高井みつについては蛸島町公民館で、権左ツナイについてはその居宅でそれぞれ同年七月五日午後の被告人のアリバイに関して取調べ、しかる後に第一次逮捕状の執行に踏み切つていることが認められるのである。
右認定事実によると、捜査当局は第一次逮捕被疑事実につき逮捕状の発付を得ながら、これを直ちに執行することなく、任意出頭という形で被告人の出頭を求め、しかも右被疑事実ではない本件殺人・死体遺棄事件についてのポリグラフ検査を実施し、一方ではアリバイに関する参考人を取調べてから、ようやく右逮捕状を執行しているのであるが、若し被告人に対し任意出頭を求めたことが、検察官主張の如く窃盗被疑事実につき事情を尋ねるためのものにすぎなかつたのならば、本件殺人・死体遺棄事件についてポリグラフ検査を実施したり、アリバイに関する参考人を取調べたりする以前に右逮捕状を執行するのが通常であろう。しかるに、右に述べた如き経緯で逮捕状を執行しているという事実は、前述の如く本件殺人死体遺棄事件についての嫌疑が稀薄であつたので同事件について被告人を追及し自白を得る手懸りと見込みを得たうえで逮捕状の執行に踏み切つたものであることが観取できるのであつて(従つてこれらの手懸りと見込みが得られなければ、果して捜査当局において第一次逮捕に踏み切つていたかどうか疑問を感ずる。)、第一次逮捕による身柄拘束が、本件殺人死体遺棄事件の取調べの手段であつたことを物語る有力な証左と言うべきである。
(ニ) 第一次逮捕被疑事実の軽微性
そして、第一次逮捕被疑事実は、その内容自体からも明らかな如く、軽微な事案であつて、住居侵入の点は、犯行日時が第一次逮捕の六ケ月余りも以前のもので、被告人の司法警察員に対する昭和四〇年八月三一日付供述調書によれば、被告人は遠縁にあたる被害者方へ雑誌類を借りるため赴いたが、偶々家人が留守だつたので、雑誌類を求めて茶の間へ入り込んだところたまたま帰宅した家人から注意されたという事案であり、被害者側から告訴がなされた形跡もなく、かつ、起訴されてもおらず、また窃盗の点についても、既に認定したとおり結局犯罪の証明がないことになるのであるが、司法警察員作成の追送致書の「情状等に関する意見」の項に、第一次逮捕の基礎となつた被疑事実と追送致に係る被疑事実に対する総括的意見として「被疑者は盗犯の前歴を有しているに拘わらず改悛することなくけい続して本件犯行に及んだものであるが事案も軽微であるので保護処分が適当と思料される。」と記載されていることから窺える如く、捜査当局自身も事案軽微で保護処分が適当と判断していたものである。
従つて、被告人の年令環境等に照すと、このような軽微な事案について敢えて被告人を逮捕するまでの必要性があつたかどうか疑問の存するところであり、捜査当局もこのような軽微な事案の取調べのためだけならば、果して被告人の逮捕に踏み切つたかどうかも疑問であると言わなければならない。
(ホ) 第一次逮捕被疑事実の取調の実情
さらに、<証拠>を総合すると、被告人は昭和四〇年九月二日第一次逮捕状ないしは勾留状の執行を受ける以前に公訴事実第二(一)・(二)・(三)・(四)・(五)の各窃盗事実を捜査官に対し自供し、その自供に基づいて同日中に慶裕ゆきえ・新出玉吉の司法警察員に対する各供述調書が、翌九月一日には米谷秋子・砂山秀吉の司法警察員に対する各供述調書がそれぞれ作成されたことが推認され、また、同年八月三一日午後七時頃から九時一〇分頃にかけて司法警察員宮本政一から第一次逮捕の被疑事実につき取調べを受けて自白調書が作成されているが、その後は右宮本政一が同年九月五日に余罪である公訴事実第二、(一)・(三)・(四)・(五)の各窃盗事実について、同月八日にその余の窃盗余罪について被告人の自白調書を作成した以外は、同月九日午後一時二〇分に本件殺人・死体遺棄事実による第二次逮捕状が執行されるまでの取調べ時間のほとんどが本件殺人・死体遺棄事件の取調べに充てられたことがそれぞれ認められる。
右認定事実によると、被告人が右第一次逮捕の被疑事実につき取調べられ調書が作成されたのは逮捕状が執行された当日の昭和四〇年八月三一日午後七時頃にかけての一回のみであつて、しかもその際、被告人は右被疑事実を自白したのであるから、補強証拠と目される証拠についての取調べも終了していた本件においては、もはや証拠隠滅のおそれは認め難く、またその他の勾留理由も見出し難いので、少くとも右自白の時点において既に被告人の身柄を拘束する理由は消滅していたものと解され、従つて、右被疑事実に基づき被告人を勾留することは疑問があつたと言えよう。もつとも、右認定の如く第一次勾留中の九月五日と八日に窃盗の余罪について被告人の自白調書が作成されているのであるが、右に述べた如く第一次逮捕被疑事実そのものに勾留の理由があつたかどうか疑問であつたうえに、前記認定の如く、捜査当局は、第一次勾留以前に被告人に対し起訴に係る窃盗の余罪についても一応の取調べを終え、これに基づき被害者の調書が作成されたものである事実に照すと、形式的にも勾留請求の被疑事実とされていないかかる余罪の取調べという理由によつては、被告人を勾留し得るところではなかつたと言うべきである。
以上に認定した(イ)乃至(ホ)の事実に、本件殺人・死体遺棄事実に対する捜査の経緯及び進展状況を併せ考えると、捜査当局は、被告人に対し本件殺人・死体遺棄事件の嫌疑を抱いたものの、右嫌疑は極めて薄弱なものであり、さりとて他に逮捕に踏み切るだけの証拠は到底収集し得なかつたので別件である第一次逮捕の被疑事実の嫌疑が存したことを幸い、右被疑事実について逮捕状の発付を受けたうえ、本件殺人・死体遺棄事件につき、被告人にポリグラフ検査を実施し、かつ、被告人のアリバイの存否について親族等を取調べ、本件殺人・死体遺棄事件についても被告人を取調べ得る手懸りと見込みを持つたうえで、右逮捕状を執行し、さらに勾留に及んだものと言うべきであつて第一次逮捕被疑事実の捜査過程に極めて不自然な点があつて、補強証拠の成立そのものに疑念が存すること、右被疑事実が軽微な事案であつて第一次逮捕そのものの必要性に疑問があり、これに続く勾留も理由がなかつたと認められること、同勾留期間中のほとんどが本件殺人・死体遺棄事件の取調べに費やされていること等の事実に照すと、第一次逮捕・勾留は、捜査当局が専ら本件殺人・死体遺棄事件について被告人を取調べ、被告人から証拠資料(自白)を得ることを意図して行つたものと認めざるを得ないのであつて、これが前述した違法かつ不当な別件逮捕・勾留に該当することは明らかであると言うべきである。
(二) 被告人の自白の証拠能力
(1) 別件逮捕勾留中に得られた自白の証拠能力
次に、右に述べた如き別件逮捕・勾留中に収集された自白の証拠能力について検討するに、右自白は前述の如く憲法の規定する令状主義並びに国民の基本的人権の保障に違背する手続の下に得られたものであるところ、実体的真実の発見のみを強調すれば右手続的瑕疵は当該自白の証拠能力それ自体に影響を及ぼすものではなく、自白収集過程における瑕疵違法については違法行為者に対し刑事訴追、懲戒あるいは損害賠償を求める等別途の救済方法によるべきものであると解することになろうが、憲法それ自体が三一条において適正手続の保障を規定し、刑事訴訟法がその第一条において実体的真実の発見は公正な手続に従つて遂行されるべき旨を宣明し、刑事司法による正義の実現と共に刑事司法における正義の実現を期する現行法制度の下にあつては、右の如き見解はこれを到底是認し得ないものと言うべきであつて、憲法三三条及び三四条の規定を実質的に保障し、刑事司法の理想を堅持せんがためには、憲法の右各規定に違背する重大な瑕疵を有する手続において収集された自白については、証拠収集の利益は適正手続の前に一歩退りぞけられ、その証拠能力を否定されるべきものと解さなければならない。そして、別件逮捕・勾留は、第一義的には自白を取得するために行なわれ、正にその違法行為の結果である自白が断罪の用に供せられ、或いは第二次逮捕・勾留のための証拠資料として利用されるところに問題の核心が存するのであるから、右核心を直截に把握するならば、かく解することが至当であり最も実際的であると言うべきであろう。(なお、別途の救済方法とされるもののうち、刑事責任の追及は刑法一九三条(公務員職権濫用罪)或いは同法一九四条(特別公務員の職権濫用による逮捕監禁罪)等に則り準起訴手続の制度を活用すべきこととなろうが現実を直視すればその実効性に疑問を表明せざるを得ないと共に、捜査官個人の責任を問う方法は、個々の捜査官の違法行為が往々にして全体的な捜査方針の一端として発現するものであることを考えるといささか的はずれの感を免がれ難く、損害賠償の請求或いは懲戒についても事情は刑事訴追を求める場合と大差なく、結局、実効性ある現実的な救済方法は現在のところ他に見出し難く、従つて別途救済方法の存在を前提とする立論はあまりに観念的であると評さざるを得ない。)
(2) 本件逮捕・勾留中に得られた自白の証拠能力
ところで、別件逮捕・勾留中に得られた本件殺人死体遺棄事件についての自白に証拠能力を認め得ない以上、これを証拠資料とした本件逮捕・勾留は違法かつ無効であると言うべきであつて、結局、被告人は憲法三三条に規定する令状によることなく逮捕され、かつ、憲法三四条の規定に違反して勾留されたことに帰するから、かかる違法な手続の下に得られた被告人の自白に証拠能力を認め得ないことも、蓋し当然と言わなければならない。
(3) 以上によつて、第一次逮捕・勾留中に作成された本件殺人・死体遺棄事件についての被告人の司法警察員に対する供述調書(昭和四〇年九月六日付、同月七日付のもの。)及びこれらを証拠資料とした第二次逮捕・勾留(その延長期間を含む。)中に作成された被告人の司法警察員に対する供述調書一一通、被告人の司法警察員に対する供述を録取した録音テープ一巻、被告人の検察官に対する供述調書一一通、被告人の裁判官に対する陳述調書(同月一一日付のもの。)は、いずれも憲法三三条・三四条の規定に違背する重大な瑕疵を有する手続において収集された自白であつて証拠能力を有さないものと言わなければならない。(裁判官に対する陳述調書は、勾留質問の際、裁判官に対してなされた自白を記載したものであるが、実質的に見て第一次逮捕による身柄拘束中になされたものと認むべきものであるから、その証拠能力を別異に解すべき理由はないものと考える。)
(結論)
以上の次第であるから、本件公訴事実中各窃盗の点はいずれも被告人の自白を補強するに足る証拠がなく、殺人・死体遺棄の点については被告人の捜査段階における自白のみが被告人と犯罪事実とを結びつける証拠であるが、その自白はすべて証拠能力を欠き採用し得ないものであるから、結局、本件公訴事実はいずれも犯罪の証明が無いこととなる。
よつて、刑事訴訟法三三六条により被告人に対し無罪の言渡をすることとし、主文のとおり判決する。(田中武一 寺本栄一 川原誠)